2006年から「まぐまぐ」で発行しているメールマガジンから紹介します。
2006年 「子供たちに伝えたいこと」
毎日の暮らしの中では、ストレスが溜まったり、辛いことが起こったりするものです。 ちょうど今、 受験のストレスでイライラしている人もいるのではないでしょうか。さて、イライラしたり、苦しかったりするときには、 つい親に対して厳しい言葉を使ったり、物に当たったりしがちです。 しかし、それでは状況は変わらないか、かえって悪くなるばかりです。
こういうときにお奨めのことがあります。 それは、他人が自分にしてくれた良いことを思い出すことです。 家に帰ってご飯が作ってあれば、それに対して心の中で「ありがとう」と思うことです。時間通りにバスが来たら、運転手さんに感謝することです。 朝、寒くなってきましたが、寒さを防ぐ服を着られているのですから、 服を作ってくれた人、買ってくれた人に感謝することです。(この感謝が、親や社会に対する感謝に膨らんでいきます。)
更に、今度は、自分が辛いときに、 困っている人の手助けをしてみたり、 みんなが教室に来る前にみんなのために教室を掃除してみたり、 誰かの人生がうまくいくように祈ってみたり、こういう、「自分を超えた、他の人のためになることを実践する」ことも 心を落ち着けてくれるものです。
実は探しさえすれば、感謝できることはたくさんあるし、 他の人のためになることはたくさん見つけられるものです。 そして、この「ちょっと」の積み重ねが、自分の心を落ち着かせ、自分の心を鍛え、社会を良くするのではないかと思います。
メルマガ「子供たちに伝えたいこと」より 1997年に書いた童話を紹介します。 桜の花 一枚のまっ白な花びらが、桜の木から離れ、ゆっくりとそよ風に吹かれて自分を育ててくれた桜の木の根元に落ちてゆきました。花びらは、卒業式の季節が終わろうとするときに、自分も長い休みに入ろうとしていたのでした。花びらが地面に落ちてしばらくすると、すずめが桜の枝からおりてきて、こう言いました。 「花びらさん、花びらさん、あなたは公園を美しく飾ってくれた花びらさんですね。何日か前の雨がしとしと降っていた日、あなたたちは私の傘になってくれましたよね。とてもさみしかった夜に、あなたは私とお話してくれましたし、その姿で心をなぐさめてもくれましたよね。あなたともう会えなくなるのがとても寂しいですわ。」 「すずめさん、私は枝の上にいたころ、力いっぱい生きてきました。そんな私たちを見て、たくさんの人間や鳥さん、虫さん、そして星さんたちや春の風だってやさしい気持ちになれたと思います。すずめさん、あなたともう会えないのは残念ですけど、私の心の中は幸せでいっぱいなんですよ。」 何日かたつうちに、地面に落ちたまっ白な花びらは少し茶色くなり、元気もなくなっていました。そこへ、少しいじわるな毛虫がやってきて、花びらに話しかけました。 「花びらさん、あなたは自分の姿がきれいなことを繰り返し言っていましたね。でも、あなたはもうごじまんの美しさでいろんなものを喜ばせることはできなくなりましたね。」 花びらは、さいごにのこった力をふりしぼって言いました。 「毛虫さん、あなたのおっしゃるとおり、私はもう美しさでいろんなもののこころをなぐさめることはできません。でも、私は今までせいいっぱい生きてきましたから、何一つくやんではいません。そして、私は今美しくもなくなり、かれていこうとしていますけれど、私が枯れたら、私は土にかえり、そこから新しい草や木が生まれ、それを虫さんや鳥さんが食べ、命を輝かせてゆくことでしょう。私はそのお手伝いができればじゅうぶんです。」 毛虫が去っていったあと、夕焼けにそまった公園で、花びらは静かに、でも満足そうに息をひきとりました。しばらくして、花びらは、公園から家に帰ろうとする元気いっぱいのこどもたちにふまれ、小さなかけらとなって、もとの桜の木の地面にすいこまれていきました。 そしてその夏、花びらが最後にいた場所からは、まっすぐ空に向かって緑の草が新しい芽を出しました。 その桜の木は来年からも花びらのいのちをもらって、つぎつぎと新しいいのちを生み出すでしょう。こうして桜の木は年ごとに美しくなってゆくのです。 --------------------------------------------- 勁草② 将来どんな職業に就くにしろ、身につけておいたほうがよい習慣があります。それは、「目の前にある「今やるべきこと」に真剣に取り組む」習慣です。 「自分のやりたい、好きなこと」だけでなく、「やるべきこと」に全力で取り組む習慣が、将来、人から信頼され、必要とされる人間の大きな条件ではないでしょうか。 授業を受けているときにはその授業に真剣に取り組み、部活で走っているときには自分のベストを尽くそうと努力し、親から風呂掃除をしてくれと言われれば、隅々まできれいにしようと頑張る、そういう姿勢を続けていくことができれば、自分のもっている力を高めながら、周囲の人々も認めてくれるようになるでしょう。 職業に就けば、好きなことだけやっていけることはほとんどないでしょう。そういう時、なんにでも真剣になれる習慣は、必ず助けになるのです。 掃除や提出物を見てみると、一刻も早く終わらせたいばかりに雑な仕事をしてくる人もいます。言われた仕事を形だけ終わらせればいいと考える人が多くなれば、それだけ世の中は手抜きが横行し、心のこもらない場所になっていくでしょう。 一人ひとりが自分の持ち場に心をこめて過している場所では、一人ひとりが周りの人の事を気遣い、自分の将来も考えようと努力している場合が多いものです。 実際、いわゆる「荒れた」クラスでは、朝から黒板の溝にはチョークの粉や、雑巾でなぐるように消したチョークの筋が残っているものです。それは結局、じぶんのすべき仕事に対して手を抜くことを覚えた人たちが集まっている、ということではないでしょうか。 そういった、小さな事に一生懸命になれる場を提供することが大切であり、目の前の小さなことに一生懸命になれることが習慣になれば、職業が何であろうときっと、相当なことが成し遂げられる人になると思うのです。 —————————————————————————– 子どもたちに伝えたいこと No.100 社会の支え(2012年) —————————————————————————– この社会には、表舞台とは言えない所で地道に頑張っている人がたくさんいます。 品質の良い野菜を作り続ける多くの農家の人 工場の現場で手を抜かず品質の良い製品を作り続ける人 製品の開発や改良に日夜取り組む人 お客さんに丁寧に笑顔で対応している人 ミスをしないようきちんとした書類を作成する人 他の人が働きやすくなるよう、システムを作っている人 事故を起こすことなくバスやトラック、車を運転し続けている人 医療、福祉など助けが必要な人を支援する人 教育者や子育てのように、人間の成長に携わる人 知的進歩のための研究に携わる人・・・・ などなど、例を挙げればきりがありません。 多くの人が当たり前のように自分のすべきことをこなしており、 一人一人の名前が大きく表に出てくるわけではありませんが、 誠実に自分の果たすべき責任を果たしている人が世の中には数多くいるのです。 マスコミで伝えられる限られた人々ではなく、 大多数の一般の人たちの地道な行動の積み重ねと、人々の心の方向性により、 一つの国や地域のあり方が決まっていくのです。 自分がやったことに対する十分な報酬と名誉を求める人で社会が溢れれば、 どこかにひずみが出てくることでしょう。 人間は、自分の功績を過大評価してしまいがちな生き物ですから。 自分が日の当たる場所にいるかどうかに関わりなく、 誠実に自分のやるべきことを仕上げていく人が数多くいる限り、 この社会はより良い場所になり続けることでしょう。 そういった人々が搾取され、つらい立場に追い込まれないこと、 それが一つの「幸せな社会」の姿だと言えるのではないでしょうか。
ホームページに戻る